能?狂言?能楽?ってなに?
謡・舞?能楽の流派?狂言の起源? 





能?

 能は「幽玄美」を第一に描かれた、「謡と舞」を中心に展開する物語です。

物語の題材は、「平家物語・源氏物語・伊勢物語などの古典文学や、土地に伝わる伝説」などで、「神・鬼」などを主人公に、神社仏閣の縁起を語り平和を祈る"祝言"の曲や、「実在した人物」が「幽霊」となって現れ、生きていた頃の恋物語や、戦物語を回想するなど、
「神・愛・情念…」の「精神世界」を描いています。

 能は、幽玄の世界を描くため、台詞もすべて口語とは離れた文章形式(〜にて候など)で会話されます。 演者(主人公=シテ)は「神・鬼・幽霊」などの、現実離れした登場人物を演ずる為、 面(おもて=能面)を着け、「神・鬼・歴史上の人物」になる為の精神を統一します。

 舞の動きの美しさ、緊張感に、繊細で躍動的な日本人の【心】を感じさせます。

狂言?

 能の多くが、「歴史上の人物が登場する貴族的な社会」を描くのに対し、
狂言は「喜怒哀楽」や「人間ならではのおかしさ」などを、庶民的な観点から、日常の生活を「喜劇的(漫画的)」に描く、日本最古の演劇(会話劇)です。

 狂言の登場人物は、その辺にいる人…いそうな人…「大名・主人・太郎冠者・聟・舅・女・出家・山伏・祖父」などと漠然とした登場人物です。
「神・動物(猿〜狐)・蚊の精・蟹の精…」などの奇想天外な登場人物も、物語(日常生活)に密着し、狂言の世界を広げています。

  写実性を求める狂言は、当時の口語(〜で御座る)などで会話されます。 演者は、「神や動物などの特殊な役柄では、「狂言面」と呼ばれる面(おもて)を使用しますが、たいていの人間を演ずる場合、素顔(ノーメイク)で演ずるのが基本となります。

狂言のポップでディープな空間は、我々にとって大切な【心】を感じさせてくれます。





能楽(のうがく)

 能楽…とは「能と狂言」、この2つの異なった芸能を束ねた呼び名です。

普段、能楽堂の能舞台で交互に演じられる「能と狂言」ですが、
今から約700年前の室町時代に確立して以来、「猿楽」より転じ、現在では「能楽」として、歩みを共にしています。「能と狂言」は、「表と裏」「陰と陽」の関係にあり、異なった性格を持ちながらも、「能楽」を支えあっているのです。






(うたい)・舞(まい)

 さて、この二つの異なる芸能「能と狂言」が、能舞台を共用し、交互に演じても違和感を感じないのは、「謡と舞」の共通する基本があるからです。

神に捧げる芸能として発祥した「能楽」は、舞台上で「ドタバタ」と「足音」をさせる事を嫌います。 「美」を損なう事と考えるからです。
スリ足で移動し、動きの一瞬一瞬を大切にします。

「謡」の確かな発声方法、「舞」の確かな身体の運びが、能においてはもちろん、狂言においても重要な役割を果たし、能楽の空間を創りあげます。

能楽の流派?

 能楽師は、能の主人公を専門に演じる「シテ方」を中心に「ワキ方・狂言方・囃子方」と、各役割ごとに完全分業され、各役割りを専門に伝承しています。
よって各役割毎に流派が存在し、能楽をつくりあげます。
・シテ方「観世流・宝生流・金春流・金剛流・喜多流」
・ワキ方「下掛宝生流・福王流・高安流」
・狂言方「大藏流・和泉流」

・笛 方「一噌流・森田流・藤田流」
・小鼓方「観世流・幸流・幸清流・大倉流」
・大鼓方「葛野流・高安流・大倉流・石井流・観世流」
・太鼓方「観世流・金春流」

とそれぞれ専門に流派があります。

狂言の起源?

  狂言の起源は、十四世紀…比叡山の学僧で後醍醐天皇の侍講を勤められた玄恵法印(1269〜1350)にまで遡ると大藏流では伝えられています。

戦国の不安定な時代に於いて、仏教の教えを和らげ、人としての生きる道をわかりやすく説くこの狂言を創始され、教養の為に活用されていました。その後、能の確立時、能楽の狂言として、更なる成長をとげました。






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